◎ポイっとしたい気持ちのとき
こんにちは、寺おか 久美子.です。
人の間と書いて、人間。
私たち人間は必ず誰かと関わりながら、人の間で生きていくものですよね。
日本語ってよくできてます。
さてさて、そんな中では「アレ??」という気持ちになることも。
相手に対していい気分、優しい気分だけではいられなくて、悲しみや怒りの気分も湧いてくるんですよねぇ。

そういうことはあえて口に出して相手に言ったりはしないですし、
(まあ態度に出ちゃうことはあるかもですけど)
私はその時『???(なんか変だな)』くらいで、後から気づいてしまうことも多くて。
実は先日もそんなことがあって、結構ヤでした(苦笑)
それで、しばらく前のインスタ絵日記に、こんなことをアップしたのを思い出しました。

kmktrok
先日、久しぶりに心から腹が立った。どのくらい怒ったかと言うと、じつは雷神レベルでありました。雷神どころかライジング・サンである(違
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とは言え、そのときは社会的な処置を極力冷静に、ちゃんとやることに注力して、それで何となく自分の中もおさまったってことにしたんだよね。で、後日カラダに出たりして、あれが雷神レベルの怒りであったことに改めて気付いたんですけれど。
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そういう喜怒哀楽を全て克明に相手へ表現する必要はない。と言うか危険な場合も多いから、適当なところでやっといたらよろしい。それとは別に、その雷神さまを手のひらに乗せて、自分でとくと感じることが大事なんだよねぇ。なんなら太鼓持ち的に「ごもっともです!そーっすよね!!」「火山の女神もお呼びしましょうか」と脳内対話を持つくらいで(笑)
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喜怒哀楽があることと、心の広さとかは関係ない。「そうやって怒るお前に問題があるんだ」という人もいるが、そういうのも関係ない。自分はそう感じた、ただそれだけなんだよなー。
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怒ったときは内なる雷神さまと対峙して、悩んだときは脳内ムロツヨシとおしゃべりし、うれしいときはしばし小躍りして、それをあじわう。よろこばしいものは身近なひとにもおすそ分けしたりして、とくとあじわう。内なる○○に出会いながら。
そして人生は続く(^-^)
この投稿、当時の私の投稿としてはけっこう反響がありまして。
共感してくださる方も割といらして、みんなモヤっとすることってあるものね〜って感じました。
思うんですけど、
怒っちゃいけないとか、かわせてこそ大人とか、
グチグチしていてはいけないとか、、
そういう教育をなされてずっと大人になってきたわけですけど
、、、コレってシンドイですよね。
だから、最近はこの調子で「自分の嫌ポイント」も「自分の嬉しいポイント」と同じくらいしっかり感じることにしています。
あと、それがどういう状況だったのかと確かめることもしています。なるべく客観的にね。
確かめると、今後そういう状況に陥った時にササッとその場を離れることができたりしますから。
え、暗いですか??
そうなんです、暗いんです笑
暗さもあるってことを「自分で」わかってあげてこそ、というのが結構大事だなぁと思うようになったんですよねぇ。
そんなことをふわりと気にかけられるようになって、絵を描く調子も上がったような気がいたします。なんとなくですけど。

嫌なことって、まーたまったもんじゃないですけど、ちょっといいこともあって、それは普段のいいことの素晴らしさが際立つこと。
クサクサしてる時に舞い込んだ、ちょっとしたラインがすごーくありがたく感じちゃったりして笑
ステキなことも、嫌なことも、等しくあるこの人間の世界で。
ちょっとシンドイ時もあるけれど、
この世の光と陰をたくさん感じたいです。
光は影がないと光にならないですし、そのコントラストやうつろいがやっぱり美しいと思うから。
みなさんはポイっとしたい気持ちの時、どんなふうに昇華させていますか?
お会いした時にお聞かせくださいね^^
ではでは、また!